2007年06月07日

フェラーリ 自動車 カヴァッリーノ・ランパンテ

イタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ(Cavallino Rampante)」という後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため、「跳ね馬」の愛称を持つ(但し、正しい日本語訳は「気負い馬」である)。
この「跳ね馬」はエンツォ・フェラーリの兄アルフレードが第一次世界大戦時に所属していたイタリア空軍スクーデリア91a部隊のエンブレムであった。
エンツォはこの部隊に属していた撃墜王、故フランチェスコ・バラッカ少佐の母から使用の許可を得たとして、フェラーリの紋章とした。
しかしながらイタリアの英雄の母親とは言え、息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、エンツォが彼女の思いつきのようなアドバイスを採用したというのが実情らしい。
この跳ね馬の紋章はバラッカが撃墜したドイツのパイロットが付けていた紋章から取ったもので、高性能・高級スポーツカーブランドとして覇を競ったポルシェ社の紋章と同じく、ルーツがシュトゥットガルト市の市章にある。
ちなみに、フェラーリのイメージカラーとして、赤(ロッソ)が非常に有名であるが、本来のコーポレート・カラーは黄色である。
特に、社旗のデザインは、社章の延長線上で黄色の旗に黒色でカヴァッリーノ・ランバンテを描く(或いは、加えてFerrariのロゴが入る)だけのシンプルなデザインであり、サーキットなどで見かける赤色をベースにした旗は、基本的にアンオフィシャルなデザインである。
現在では赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーのオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。
また量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。
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フェラーリ 自動車 F1

スクーデリア・フェラーリ(Scuderia Ferrari)はイタリアの自動車メーカー、フェラーリによるF1チームである。
現在はメインスポンサーであるタバコブランド「マールボロ」の名を冠し、「スクーデリア・フェラーリ・マールボロ」(Scuderia Ferrari Marlboro)が正式名称となっている。
なお、イタリア語の「Scuderia」は英語での「Team」に当たる言葉である。
これまでにアルベルト・アスカーリ、ニキ・ラウダ、クレイ・レガッツォーニ、ジル・ヴィルヌーヴ、アラン・プロスト、ジャン・アレジなど数多くの名ドライバーを擁し、過去14回のコンストラクターズタイトルを獲得している。
スクーデリア・フェラーリは内製のエンジンを使用する、いわゆるワークスチームである。
また現在の母体は自動車製造会社でありながら出自はコンストラクターである。
そのため、自社敷地内に「フィオラノ」と呼ばれるテストコースまで所有している。
世界選手権開始直後からF1に参戦し、通算最多勝・最多出走など数多くのタイトルと記録を保持するフェラーリはまさにF1の象徴といえる存在であり、世界に名を轟かすものとしてF1界に君臨している。
フェラーリは、アルファ・ロメオのレーシングドライバーだったエンツォ・フェラーリによって1929年に創設された。
当初の目標はアルファ・ロメオを追い越すことであった。
F1には1950年第2戦モナコGPから参戦。初勝利は1951年第5戦イギリスGPで、フロイラン・ゴンザレスが、それまで出走した全てのレースで勝利を獲得してきたアルファ・ロメオを初めて破り獲得した。
初のコンストラクターズ・タイトル獲得は1961年だが、この年のイタリアGPではヴォルフガング・フォン・トリップスが事故で死亡した。
1964年にジョン・サーティースを擁し2度目の制覇。
1967年にはモナコGPでロレンツォ・バンディーニがレース中の事故で死亡、エンツォ・フェラーリはイタリア人ドライバーを乗せないことを決意する。
60年代の低迷期の後、1974年から加入したニキ・ラウダを中心に復活。
1975年からコンストラクターズ・タイトル3連覇。
1979年は南アフリカの英雄ジョディー・シェクターが、同僚ジル・ヴィルヌーヴと激しくタイトルを争った結果ドライバーズタイトルも獲得し、ダブルタイトルを達成。
フェラーリは黄金期を迎えた。
しかし翌1980年はウィリアムズの台頭とマシン設計の失敗もあり不振に陥る。
そして1982年、ジル・ヴィルヌーヴがベルギーGP予選の事故で死亡する。
チームメイトのディディエ・ピローニも、同年のドイツGPのフリー走行中に両足を粉砕骨折する重傷を負い、レースから離れるがフェラーリは7度目のタイトルを獲得した。
同時にターボエンジンとしては初の年間王者を獲得したことでもあった。
しかし1983年を最後にコンストラクターズ・タイトルから遠ざかり、1980年代中盤 - 1980年代後半は、ミケーレ・アルボレートやナイジェル・マンセル等が活躍を見せたこともあったものの、最終的には毎年ウィリアムズやマクラーレンの後塵を拝した。
1988年にはチーム創設者エンツォが死去。
1990年にはアラン・プロストを獲得するが、ランキング2位止まりであった。
2005年アメリカGP1996年のミハエル・シューマッハの加入からチームは改革され、1999年にはついに16年ぶりにコンストラクターズタイトルを奪還。
その年からコンストラクターズタイトル6連覇、ミハエル自身は翌2000年から5年連続ワールドチャンピオン、つまり2000年からはドライバーズ・コンストラクターズ両タイトルにおいて5連覇という記録を残した。
また、かつては門外不出であったフェラーリエンジンであったが、近年は下記のチームにカスタマー仕様で供給されている。
◆ミナルディ : 1991年

◆スクーデリア・イタリア : 1992年−1993年

◆ザウバー : 1997年−2005年(ただしバッヂ・ネームはペトロナス)

◆プロスト : 2001年(ただしバッヂ・ネームはエイサー)

◆レッドブル : 2006年

熱狂的なフェラーリファンのことをティフォシ(tifosi)と呼ぶ。
これはイタリア語で「熱狂的スポーツファン」「チフス患者」の意味を持つ「ティフォーゾ(tifoso)」の複数形であり、元々はフェラーリファンを特定するものではない。
そのためか、ティフォシの代わりにフェラリスタという呼称が使われることもある。
地元開催に当たるイタリアGPにおいては、来場したティフォシによってサーキットのあるモンツァが赤く染まるほどである。
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フェラーリ 自動車 フェラーリ?

フェラーリ (Ferrari) はエンツォ・フェラーリが設立したイタリアの自動車会社及びF1のコンストラクター。
フィアットグループの傘下。本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級GTカー及び高級スポーツカーしか製造していません。
1947年に、アルファ・ロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。
創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退と共にその資産を受け継いだ。
当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。
しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなどと不評も多かった。
シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われている。
当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。
その割りに工業製品としての品質はかなり低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。
後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、性能の向上と言うよりはむしろマーケティングの面からミッドシップを採用しながら居住性やトランク確保といったようなキツ要請・快適性をクリアするために、重心高が上がり限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。
F355からはF1マチックというシーケンシャルのセミATが採用され、それまでの重いクラッチを使う必要がなくなった。
また、メンテナンス性も低く、交換部品等が高価で維持コストも高いため、購入するだけでなくそれを維持できるということで、その所有者のステータスの高さの証明であるとも言える。
ただし、ターゲットが富裕層のためロードカーとして設計されたモデルはそれぞれ同時代の車に比べて運転が難しかったり調子を保つことが困難であったりすることはなく、こうしたイメージは程度の悪い中古によるものか、或いは現在の基準でクラシックモデルを判断していることによるものであろう。
1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが(一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても、「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという)買収金額をめぐって交渉は決裂。
1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。
この買収の決裂を受けて、フォードは後に独自のスポーツカーGT40を開発し、その資本力に物を言わせ、ル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破ることになる。
フィアットの傘下に入った後、ディーノ206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。
このエンジンは政治的配慮からなのか、キャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利にもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。
またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。
そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとして308シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。
308のエンジンはランチアのレーシングマシンに使用され、ランチア・テーマにも積まれた。
これはやがて328、348と発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。
F430のエンジンはマセラティと共有であり(マセラティの方が先行採用)、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。
しかしアルファロメオ8Cコンペティツィオーネの市販決定によりついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。
その後、フィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロが社長に就任後、品質の劇的な改善に成功し、好調な業績を上げてきている。
モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。
[出典:ウィキペディア(Wikipedia)]
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フェラーリ 自動車 車種

フェラーリの現行車種(2007/3 現在)
◆F430

◆F430スパイダー

◆612スカリエッティ

◆599 (正式名称は599GTB フィオラノだが、日本仕様では商標の関係で599となる)
※フェラーリは4シーター車をラインナップに必ず入れている。
これは北米では2シーター車の保険料が高額であるためである。
レクサス・SCなどが大人はとても座れない後部座席をわざわざ装備しているのもこのためである。
[出典:ウィキペディア(Wikipedia)]

<フェラーリF40概要>
フェラーリF40とは、1987年にフェラーリが創業40周年を記念して製作したスポーツカーの名称です。
これは創始者であるエンツォ・フェラーリが生前自ら発表した最後の車であり、歴代のフェラーリの中でも根強い人気のある車種である。
車体の基本構成こそ1960年代のフェラーリ製レーシングカー、あるいは従来の市販フェラーリと同様の楕円鋼管チューブラーフレームによるスペースフレーム方式ではあったが、当時開発されたばかりの複合素材や構造部接着剤といった最新のマテリアルを組み合わせた半モノコック構造とし、高い剛性を得ている。
パワートレインはWRC参戦を目論んで発売された前任車288GTO、およびその改良版288GTOエヴォルツィオーネから引継ぎ、改良を加えた強力なインタークーラー式ツインターボエンジン(タービンはいくつかのメーカーが比較検討されたが、最終的に日本のIHI/石川島播磨重工製が採用された)を搭載している。
公称最高時速は324km/h。なお、最高時速が200mphを初めて越した市販車です。
このクルマが持つ出力特性はまさにターボカーのそれであり、当時フェラーリのF1チームに在籍していたゲルハルト・ベルガーが開発を担当し、当時現役のF1ドライバーに、「雨の日には絶対に乗りたくない」や、「雨の日にガレージから出すなんて有り得ないことだ」と言わせた。

<フェラーリ自動車 F40最速カー>
フェラーリF40の登場にはフィアットグループの総師ジャンニ・アニェッリの意思が大きく働いていると言われる。
ジャンニ・アニェッリはポルシェ959を見て大きな衝撃を受け、フィアット傘下のフェラーリに、出来る限りイタリア製のパーツを使って、ポルシェ959を越える自動車を作らせようとした。
フェラーリは288GTOのエボリューションモデルをベースにF40を作り上げた。
ポルシェ959が4輪駆動のトルクスプリットという極めて進歩的なのに対して、フェラーリはミッドシップの2輪駆動で地球の自動車界の最速カーを目指した。
シャーシとボディーの主要構造にはカーボンケブラーコンポジットというF1の技術を使っているため、この車は軽く丈夫に作られているが生産性が低い。
フェラーリF40が約4000万円で発売されると、世界中から注文が舞い込んだ。
そこでフェラーリは当初200台という限定を考えていたが、あわてて注文がある限りは作るというスタイルに変更。
これは、フェラーリが儲けを意識したわけではなく、車が投機の対象になるのを嫌ったからだと言われている。

<フェラーリ F50概要>
フェラーリF50は、イタリアの自動車メーカーフェラーリが創設50周年を記念して製作した名車です。
フェラーリ・F40の後継車種であり、1995年に発売された。
開発コンセプトに掲げられたのは「公道を走るF1」
カーボンコンポジット製のセンターモノコックにエンジンをストレスマウント化(剛結・ボディへ直にボルト止め)し、F1マシンそのままの高剛性な車体構成を公道を走る車として初めて採用した、まさにF1マシンそのものです。
さらにF1用3.5リッターV型12気筒DOHC5バルブエンジンのエンジンブロックを流用し、排気量を4.7リッターに拡大した自然吸気のエンジンを使用、最高出力は520bhp/8500rpm、最大トルクは48.0kg-m/6500rpm、最高時速は325km/h。
発表時期が近いこともあり、マクラーレン・F1とライバル視される事もあるが、両者の直接比較は為されなかった模様です。
現在までに349台生産販売され、新車価格は日本円で約5000万円。



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フェラーリ 自動車

フェラーリ (Ferrari) はエンツォ・フェラーリが設立したイタリアの自動車会社、及びF1のコンストラクター。
フィアットグループの傘下。本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級GTカー及び高級スポーツカーしか製造していない。
1947年に、アルファ・ロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。
創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退と共にその資産を受け継いだ。
当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。
しかしながら初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなどと不評も多かった。
シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。
当時の市販車はそれまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。
その割りに工業製品としての品質はかなり低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。
後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、性能の向上と言うよりはむしろマーケティングの面からミッドシップを採用しながら居住性やトランク確保といったようなキツ要請・快適性をクリアするために、重心高が上がり限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。
F355からはF1マチックというシーケンシャルのセミATが採用され、それまでの重いクラッチを使う必要がなくなった。
また、メンテナンス性も低く、交換部品等が高価で維持コストも高いため、購入するだけでなくそれを維持できるということで、その所有者のステータスの高さの証明であるとも言える。
ただしターゲットが富裕層のためロードカーとして設計されたモデルはそれぞれ同時代の車に比べて運転が難しかったり調子を保つことが困難であったりすることはなく、こうしたイメージは程度の悪い中古によるものか、或いは現在の基準でクラシックモデルを判断していることによるものであろう。
1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが(一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても、「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという)買収金額をめぐって交渉は決裂。
1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。
この買収の決裂を受けてフォードは後に独自のスポーツカーGT40を開発しその資本力に物を言わせ、ル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破ることになる。
フィアットの傘下に入った後、ディーノ206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。
このエンジンは政治的配慮からなのか、キャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利にもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。
またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。
そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとして308シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。
308のエンジンはランチアのレーシングマシンに使用され、ランチア・テーマにも積まれた。
これはやがて328、348と発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。
F430のエンジンはマセラティと共有であり(マセラティの方が先行採用)、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。
しかしアルファロメオ8Cコンペティツィオーネの市販決定によりついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。
その後、フィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロが社長に就任後、品質の劇的な改善に成功し、好調な業績を上げてきている。
モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。
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